GWは九州に・・と言いたいところだが・・・
熊本地震の影響で九州の観光がかなりの影響を受けているわけですが・・・。
そうすると九州にお金を落としてあげたいと思うのが人情なんですけどね・・・まあ、鹿児島や、長崎、福岡などに行くのはいろんな意味で狙い目だとは思いますが・・・肝心要の熊本県に関しては・・・・今、熊本市内、南阿蘇周辺含めまして、宿泊施設、ほぼ予約取れませんw
まあ復興関係、メディアが抑えているからなんですけどね・・・。
なので、少なくとも熊本に来ることは「ごく普通の」通常の観光という意味ではやめた方がいいです。あと、ボランティアもどうなんだろう?いわゆる赤紙が貼っている倒壊の危険のある建物に、少なくとも社会福祉協議会は、安全上の理由で、ボランティアに入らせないからねえ・・・。
というわけで、難しい局面だとは思う。炊き出しなどの具体的支援以外は、もうすこし待ってもよいんじゃないかな、と思う。
ちなみに、ボランティアっていうのは是々非々な部分がある。
もちろん良い人がほとんどなんだけどね・・・特に「長期ボランティア」という場合、シニアやらニートやらフリーターやら行き場のない「ヒマ人」が集まる側面もあり、人柄的にバラツキが多いことあるのね。
長期ボラあるあるが・・・。
正義感は強くて仕切りも好きで、意識は高いが、結局、地元に自分の居場所がなくてやってくる自分探しの延長の若者は、まあなんつーか震災の風物詩である。(重ねて、ボラみんながそう、というのではないですよ、念のため)
なんで僕個人としては、ド短期ボラの方か、スキルを要するどこかの組織(例えば薬剤師会とか)からのボラの方が好きなのね・・・。
あ、例外は「金持ち」なボランティアである。1年がかりとかやれる人ねw こういう人たちは、もう不労所得があったりするので、存分にできるのである。まあ、結局は、時間と金に余裕があるのがボランティアの理想だと思う。
てか、GWをボラで訪れる人はど短期がメーンなわけなんだけど、マッチングサイトで足り無いものをあげる方が効率がよろしいのねw
そんな前提の上で・・・・あえて行くとすれば。
僕は、ボランティアをするという目的を主目的にするのではなく、被災地を「見学にいく」という目的を第一の目的にするべきだと思う。
それは別に、あさましいことではない。
大自然の圧倒的な力を実感し、そして困っている人たちの生活になんらかの形で触れることの方が、中途半端な理想を掲げて人助けをしようとするニートフリーターボラの100倍、有意義だと思う。
「寄り添いたい」と感じる原点は、そういうことから始まるからね。そうした思いはしなやかで、長続きする。
ミニマリストのどこがよいのやら
部屋に何も置かないニイちゃん。服も最低限。
そんな人をミニマリストというそうで。
・・・。
確かに。
アップルという会社がもたらした最大の功績とはiPhoneなどのデバイスではなく、「Simplicityは美しい」という哲学だ。
それは分かる。
しかし、衣食住含めてエコな生き方・・・。
神経質そうでとてもじゃないが、一緒に住みたくない・・・というか友達としても微妙である。
ただ、おそらくミニマリストさんも、最左翼から最右翼までいろいろいらっしゃると思われるし、部屋にまったく何もない系は最右翼ということでエクストリームな感じなのであろう。確か喪服やらフォーマルな服は、すべてレンタルで済ませたり、そもそも服を一種類同じものしか持っていなかったり、なんつーかもーそれネタですか、それとも生き方ですかの世界。
そういう人たちのことだけを称して「気味が悪い」とするのも気の毒なのだが。
かといって、ヨガやら無印良品的なシンプルライフやら干し野菜やらの生活をこれ見よがしにブログにあげる系は、まあ、ミニマルというよりも、この数十年よく見るロハスな人たちの一派に過ぎないだろうし。
断捨離という言葉の方がしっくりくるが・・・・。
ちなみにうちの妻は、ひたすら掃除だけは好きなようで、気がつくとあらゆるものを捨てる。必要でも捨てたがる。
そんな妻は、ブランド系を好まない。身につけるものは、ナチュラル系が多い。仕事は美容関連である。飯だけはダメだが、それ以外は立派なミニマリストかもしれない。
まあ言葉遊びってやつですかw
おそらくオシャンティな生き方ってのは、
・メシへの思い(と選択)
・生活する場のシンプルさ
・服装
の3つで構成されるはずで、まあこのバランスが良いと暮しの手帖の編集長のようになれるわけですがw
もちろん、対極は、マイルド含めた郊外型ヤンキーライフであるw(イオンモール、バン、コンビニメシ、髪型服装微妙なかわいくない子供たち)。
結局、郊外型ヤンキーが日本経済を回している、とかテキトーなことを言ってながらも、やっぱりああいう「ダサイ」生き方は、ブルーカラーそのものっぽくて嫌だってだけだと思う。w
まあ、何が言いたいかってーと、一人暮らししたからといって、ミニマリストを標榜するくだらん男子ブロガーにはなるなってことだ、マイサンたちよ。コンビニメシ食ってゲームでもしてた方がよっぽどマシだよw
マスゴミ的な話
熊本地震に関して、マスゴミ批判が多くなってきたような・・・。
被災者の人を邪魔するな、とかへりがうるさいとか。
ヘリに関してはねえ・・・・。
案外、大したことないんだよ・・・。
ヘリってねえ・・・防災関連の取材の時は、救出活動を邪魔しないように、自衛隊機などの上で旋回しているしね・・・。
あと。
一番知られていないのはね・・・。
ヘリ取材って、一つの現場にいるの、せいぜい15分ぐらいなんすよ。
これは燃料とかコストとかそーゆー問題じゃなくて。
15分もいれば撮れだかとして、十分
だからなのねw
なので、マスゴミ批判する人たちが思うほど、報道ヘリって、一日中いるって感じじゃないんだよね・・・・。よくある救出活動が、ヘリの音でかき消されるってのも、ごくごく一部の話だと思う・・・というか、ほんとにそうであれば、とっくに防衛省、警察からこの手の取材ルールが設定されていると思う。
まあマスゴミって言葉ってのは、便利な言葉なのである。
「だからマスゴミはダメなんだ」
という言葉の構造は「ある集団をカテゴライズして、そうでない自分を高みの全うな存在として、全体化して侮蔑する」という差別あるある、の構造と同じなのよねw
マスゴミを蛇蝎のごとく嫌うボランティアNGOなどは多いが、こいつらに「NGOって助成金がなくなったら活動できなくなってまとまらなくなる暇つぶしのクズたちの集まりですよね」って全体化していったら、どう反応するだろうか?
まあ、要するに、ある集団を断定的にクソ扱いする、ってことは、その時点でちょっとその人のオツムが残念!であることを意味することが多い。
もちろん、メディアの人間もホント勘違いしたり変なやつもいっぱいいるわけだがw
それゆえに「総合的な感想」というのは必要な時もある。シールズの奥田君の発言を持って判断するのは妥当だと思うが、シールズに参加している全員が阿呆とは限らない。・・・。・・・。単にシールズな意識高すぎる学生諸君とは、自分が学生時代、絶対にお友達にはなれなかったな、なりたくないな、というだけである。w
大学生時代にした方がいいこと10選
もうこの釣り感がたまらない見出しですがw
意識高い系のブロガーとかってどーしてこういうタイトル多いんだよwどんだけポジティブなんだ。
とかいつも思っているのだが。
まあいいや、適当に書いてみる。
大学時代にした方がいいことってかw
1・性行為
2・ケンカ
3・時間のかかる遊び(映画、旅行)
4・一人暮らし
5・勉強
・・・10もねえよ・・・w
1・性行為
てかもう中二病卒業できない能書きだけ多い、非モテのオタだけにはなるな。どうせどこにもいけん。
2・ケンカ
年上年下同年代、まあこちらがトンチンカンでも無礼でも最悪許してもらえる
3・時間のかかる遊び(映画、旅行)
映画とか100パーセント早送りだからね、いまw ミニシアター系好きとか言っている場合じゃないからw
旅行。もう年取ると、旅行に行くのがめんどくさくなるのよw
4・一人暮らし
性行為し放題だ。性行為しないなら一生実家にいろ。まあ俺は自分の子供が社会人になってまで実家にいたいとか言い出したら追い出す予定にしているが。
5・勉強
一人ぐらいまともな先生の友達つくっとけ
・・・ああ偉そうでした、すいません、何様でしたw
一言でいえる「ブログを書く理由」
今週のお題「私がブログを書く理由」
そんなん・・・。
「暇つぶし」
以外何があるというのでしょうか。
そもそも「人生暇つぶし」でございまして。
余った時間をどう過ごすか、について個体差があり、かつ昨今のトレンドがあるわけですね。
そんなわけですが、案外この「暇つぶし」・・・・。
その人の「センス」が問われるところだと思うんですよね・・・。
まあ暇つぶしなんて、所詮自分のための所業なわけで、ある程度、素が出るといいますか。暇つぶしは、基本的に快楽のためにやっているわけですから、とりあえず「好きなこと」になります。が、それが「みっともないことかどうか」という第三者的視点を感じるか、感じないか、でだいぶその人のセンスが問われるような気がするのね。
例えば、通勤時。通学時、スマホで「堂々と」ピコピコゲームしている人は、やっぱりアホに見える。
偏見かもしれないが、なんとなく「受け身」な暇つぶしって、どうしても「センスない暇つぶし」に見えちゃうからだろうなあ。
どこか能動的な部分を残した「暇つぶし」が「まだ」マシな気がする。
そう考えた時に、ブログってのは、僕にとっては、いわば思考(嗜好?)の流れをメモする行為なのね。ノンリニアで流れていく日々のことにくさびを打つことができる。しかも、金をもらっている文章でもないから、基本的に取り上げるお題に制限はない。
要するに「便所の落書き」であり「大様の耳はロバの耳」と叫ぶための洞穴という存在である。
僕にはこのブログが大人気になってアフィリエイトで稼ぐなんて思いはゼロなわけだが、それでも、反応がゼロじゃ寂しいのよねw
この辺が僕の自己表現欲求の落としどころなんだろうね。
つまり、
「暇つぶし」
と
「ちっぽけな自己表現欲求」
の
絶妙なバランスが
ブログ作成へと結実しているという。
かといってもね・・・。逆に、イケハヤみたいな人がいると「うわああああ」って思っちゃうのよねw あと坂口恭平とかw いわゆる「意識高すぎるネット系のクリエイター」系。
「人生暇つぶし」なわけだけど、それをなあぜか、大げさに「人生暇つぶしで、僕らは自由なんだ」って言い出すと、メンドクサイ人になるというw
とかく世の中はバランスであるw
世の中何も考えないアホは嫌だが、世を憂い、そしてやたらめったら共同体を作りだそうとする意識高すぎるニートほどメンドクサイものはいないからねw