フォトグラファー的・時事放談

メディア野郎がテキトーに書いています

自己啓発という病~意識高い症候群~

自分を変えたい。

 

この思いを持つこと自体は健全なことだと思う。

 

例えばセンスについて。

 

センスがあるか、ないか、という二極化して判断されがちなのだが、現実はもっと「グラデーション」である。つまり「とってもセンスの悪い人」と「とってもセンスが良い人」がいて、その間にたくさんの人がいるわけだよね。

 

なので、自助努力や、周囲の人たちにインスパイアされて、ゆっくりと「センスの良い人になる」という思いや、行動というのはとっても大事だと思う。

 

なのだが、どこをどうすると、地道に頑張る人が「イタイ人」=「意識高すぎる人」になるのであろうか。

 

答えは「厨2病」気質があるかどうか、だと思う。

 

個人的な定義だが「厨2病患者」とは「いい年なのに非現実的な理想論を振りかざすか、自分だけのルールで生き続ける大人」だと思う。

 

彼らは「自分だけは他人とは違う(はず)」というジャンプ漫画にありがちな独特なヒロイズムと、独特の正義感を持っているようで、どちらかと言えば世の中に対してポジティブな思いを持つ人が多い。「認められていないのは、世の中が俺に気づいていないだけだ」と思いがちだ。

 

で、彼らの場合、そうした「他人とは違うオレ」をアート(音楽、絵など)などにぶつけて創作魂を昇華されれば、まだ良いのだが(成功、失敗を問わず、技術のうまい下手と評価が分かりやすいこれらの分野は、おのずと自分が「ま、これぐらいだな」と知るのでる)、こと「文章」に関しては、こじらせた人が数多く存在する。理由は「誰でも書ける」からである。

 

その構図は、深夜特急を読んで旅人が急増したのと変わらないのだが、ネットにより、分母があまりにも増えたため、こじらせたまま30代のオッサンに突入していく人はあまりに多い。

 

彼らを下支えしたのは、もう1つある。

 

SNSだろう。

 

ツイッター、FB、クラウドファンディング・・・・。

 

シェアすることで集合知が産まれ、よりよい未来が築くことができる・・・と吹聴したネット系のインテリさんたちは数多くいた(あまりにも多いので書かないが、佐々木俊尚氏や、原発観光化計画などを立てた人はその典型だろう)。

 

2011年の311をきっかけに彼らは更に躍進したが・・・。

 

5年後の今、どうなったか。

 

屍累々。更にさんざん集合知を説いたこれらの人そのものが、コロリと意見を変えて、より現実路線に転換しているのが現状である。

 

ちょっとは反省しようよ、あんたたちが多くの若者を狂わせたことを。とも少し思う。そういう人に限って、メディアリテラシーの大切さを説いていたりするのはどうかなあ、と。

 

時代のあだ花とはいえ、巻き込まれた方はたまったもんじゃないですよね。

 

ナルシシズムの末路は、「あきらめられないおじさん」である。

 

自分を簡単に変える方法を教える人たちはこれからも現れるだろう。

「~な3つの方法」とかね。

自分を変えたいと思う人がいる限り、こうした輩はいなくならないんだろうねえ。